東洋文庫 東京年中行事 1(1911)

若月紫蘭によって書かれた本書は、俳句を多く引用した東京歳時記であるという。冒頭の部分を紹介する。

《家康はじめて江戸に入ってからというもの、江戸の市街はみるみる繁昌におもむいたということは、当時の諺に『江戸の町に多いものは伊勢屋、稲荷に犬の糞』というのがあったに見ても想像するに難くはない。伊勢屋というのは勿論、伊勢地方よりのぼり来った商家のことであって、当時伊勢屋を屋号とする商人の多かったこと、古墳のあるところ至る処、稲荷の祭られたこと、泥棒除けの犬の盛んに愛養せられたことなんど、皆、この時代の隆盛を証明するに足るものであろう》

この後は本文よりいくつか紹介する。

講道館の鏡開

小石川富坂町の柔道教講道館では、例年八日を以って鏡開を行い、嘉納館長の挨拶についで色々の型、乱取りなどあり、昇段者の披露終りて、来会者一同へお汁粉と四斗樽一本半の焼酎と、一本の揚餅とのご馳走が出る。》

《鏡開(十一日)

昔は具足餅とか鎧餅とかいって、武家では元日に床の上に甲冑を飾り、その前に餅を供えて軍神を祭った。或は二十日と刃柄を祝ったという説もある。そして正月二十日には、その餅を切らずに手で崩したり槌で砕いたりして食ったものである。鏡開というのは即ちそれであって、寛永九年以後はこれを正月十一日に行うようになった。今の鏡開はその名残で、床の間や神棚に飾られた鏡餅は大抵この日に打砕かれて、東京では多くはお汁粉にこしらえられる。そしていずこの家でも、女子供は嬉しそうにお代りの数を競うのである。》

《薮入(十五日、十六日)

盆と合わせて年に二度しかない、いわゆる奉公人日の二日で、主人持の小僧、大増、女中、おさんどんに至るまで、この二日間を公然と暇をもらって、兄弟を省するものもあろう、知己縁者を訪うもあろう、そして上野、浅草からさては芝居、寄席、活動写真といずれも力限りの頭をしぼって、思う存分に羽を伸ばして飛び回って、半年中の命の洗濯をする。西に東に南に北に、動く電車も止まった電車も、今日を晴れと着飾ったニコニコ顔のおさん小僧達でいずれも皆満員。特殊学級や孤児院養育院なんどでも競技会とか温旧会とかそれ相当の催しがあって、菓子袋や折詰なんどのお土産が出て、親兄弟のないものも矢張り薮入りの楽しみだけは得られることになっている。》

《閻魔参(十六日)

藪入の二日目は例のうそをつくと舌を抜くという閻魔の賽日で、各所のお閻魔様は、今日に限って渋い顔をニコつかせていらっしゃるようにも思える程の人出。いずこの境内でも曲独楽、居合抜、映し画狂言、活動写真、玉乗り、足芸、改良剣舞なんどで、ドンチャンドンチャン囃し立てているが中に、少しく場末の方となると、腕無しこぞう、首長娘種あかし、猿芝居、猫芝居なんどいう見世物から、早取り写真なんどいう前世紀時代のものがまだ相当に幅をきかしている。》

興味の湧いた文章を紹介したが、長くなるのでこのくらいでお終いにする。