東洋文庫 漢書五行志 班固 (1世紀)

後漢の時代に成立した漢書の10志の内の一つである。五行とは自然を構成する要素である「木」、「火」、「土 」、「金」、「水」であり、五行説によると災害や怪異の現象は、人間の悪徳や悪行が五行のバランスを乱し、世界の秩序を混乱させる為に発生すると考えられている。本書の内容は「春秋」に書かれている事象、事件を董仲舒が陰陽五行説を用いて解説したものを引用し、劉向(りゅうきょう)の考えも併せて述べるというものである。一例を挙げる。

荘公二十年(前674)の夏、斉に大災があった。

劉向はつぎのように考える。斉の桓公は色を好み、女の言うことに耳をかし、側室を正妻とし、嫡子と庶子をしばしば取りかえた。だから大災つまり大火災をまねいたのである。桓公は悟らず、桓公が死ぬと、嫡子と庶子とが分かれて争い、九ヶ月間、葬儀を行うことができなかった。

『公羊伝』には「大災とは疫ー伝染病ーのこと」とあり、董仲舒はつぎのように考える。魯の夫人は斉の襄公と密通し、また斉の桓公の姉妹で嫁いでいないものが七人もいた。国君は民の父母であり、夫婦は生育の根本である。根本が傷つけば、末枝は夭折する。だから天の災いが降りかかったのである。

もう一例挙げる。劉歆(りゅうきん)の意見も引用している。

二十四年(前670)洪水があった。

董仲舒はつぎのように考える。哀姜が輿入れした当初、荘公は大夫や一族の女性たちにお目見えさせ、贈り物を献上させた。また哀姜が二人の小姑とふしだらな関係を結んだのに、荘公はとめることができなかった。臣下はこのことをさげすみ、それでこの年と翌年とひきつづいて洪水があったのである。

劉歆はつぎのように考える。これより先、宗廟をことごとしく飾りたて、たるきに彫刻を施し、柱を朱色にして夫人に自慢した。宗廟をおろそかに扱った罰である。