東洋文庫 続日本紀 (797)

文武元年(697年)8月17日文武天皇が即位しその時の詔

現つ御神として大八嶋国をお治めになる天皇の大命として仰せになる大命を、ここに集まっている皇子たち、王たち、百官の人たち、および天下の公民は皆承れと申しわたす。

高天原にはじまり、遠い先祖の天皇の御代御代から中・今にいたるまでに、天皇の御子のお生まれになるまま、つぎつぎに、大八嶋国をお治めになる順序として、天つ神の御子のまま、天においでになる神のお授けになるとおりに、とり行なってきたこの天つ日嗣の高御座の業であると、現つ御神として大八嶋国をお治めなさる倭根子天皇が、お授けになり、お負わせになる、貴く、高く、広く、厚い大命を受け賜わり、恐れつつしんで、この食国天の下を調えて、平らかに統治し、天下の公民を恵み、撫でいつくしもうと、神として思うと、詔される天皇の大命を、皆承れと申しわたす。

以下日誌を少し紹介する。

10月28日 新羅の使いで一吉飡の金弼徳、副使で奈麻の金任想らが来日した。

12月7日 播磨・備前・備中・周防・淡路・阿波・讃岐・伊予等の国に飢饉が起こったので物を与えて救った。また負税の取り立てをさせないことにした。

文武二年

2月13日 務広弐の文忌寸博士ら八人を南嶋に遣わして国を求めさせた。そのため武器を支給した。

5月1日 諸国に旱害が起こった。それで幣帛を諸国の神社に奉った。

7月1日 日蝕があった。

7月7日 公私の奴婢を民の間に隠したり、あるいは逃亡の奴婢と知りながら受け入れたりして、すすんで役所に申し出ないものがあるので、ここで始めて笞の法を定め、仕事を償わせた。事は別式に記してある。 また博奕などかけごとをして遊び暮らしている者を取り締まった。そうした者を寝起きさせている主人もまた、同罪とした。