東洋文庫 中国の印刷術 1 その発明と西伝 (1925)

著者のT.F.カーターはコロンビア大学の教授で1925年に死去している。本書はT.F.カーターが1921年山東に向かう汽車の中で着想を得て、その後文献や資料の収集のために世界中を周り、1925年に完成、上梓されたものである。本文の一部を紹介する。

《 紙の発明は105年〔後漢、元興元年〕のことと正史に慎重に記されているが、この年次はむしろ随意に選ばれたのであって、他の多くの発明と同じようにこの発明も段階的な変化をたどってきた。(略)105年はふつうこの年に宦官蔡倫が紙の発明を皇帝に正式に上奏したことから、紙の発明の年次とされている。》

《1931年3月に、カラ・ホトから遠くないエチナ川流域の漢代遺跡〔居延城〕を発掘していたスウェーデンの考古学者フォルケ・ベルグマンが世界最古と思われる紙を発見した。それは皮鞘に収まった中国製の鉄ナイフ、ひどくひからびた皮製の水袋、青銅の鏃と葦の矢がらの弩の矢、多数の木簡、絹のぼろ(錦の端ぎれをふくむ)、草紐を編んでつくったほぼ完全な雨具などと一緒に発見された。》

木版印刷の始まりから一世紀ほど後に技術を改良し新しい目的に応用した馮道は、中国人によってふつう印刷術の発明者と考えられ、グーテンベルクがヨーロッパで占めるのと同じ地位を中国史上で占めている。》

《最近まで征服されたことのない国である日本では、古代の遺物が驚くほど注意深く保存されてきた。このことは特に奈良の町において真実であり、 そこには710年から784年にかけて首都が置かれ、この奈良時代からのさまざまな文物が保存されてきた。(略)仏教に対する称徳女帝のおかげで、世界ははじめて紙の上に銅板で印刷するという最初の、確実なそしてはっきりと確かめられた記録を手にすることになったのである。女帝は百万個の小さな木製の塔に収める百万枚の護符〔陀羅尼〕の印刷を命じ、770年の少し前にこの事業は完成して塔と陀羅尼が諸寺に寄進された。》

このことは続日本記、東大寺要録に記載があり、陀羅尼の実物も残っているのである。

《900年以上も前に密閉されたこの古い図書室の写本の中から、1907年にスタイン博士は現存する世界最古の印刷書を発見した。この書物、すなわち『金剛経』〔詳しくは〕『金剛般若波羅蜜経』はほとんど完全に保存されており、その背後には長い歴史を持つ進歩した技術がうかがわれる。(略)この書物は六枚のテキストと一枚のそれより短い版画から成り、長さ16フィートの連続した巻物になるように全体がきれいに糊づけされている。(略)テキストの末尾には、「咸通9年4月15日(868年5月11日)に、王玠が両親のために敬しんで造り普施する」という記述が印刷してあった。》

これが第1巻で第2巻には「木版印刷の西伝の経路」、「活字による印刷」、総索引が収録されている。