失われた時を求めて (110)

プルーストは考察中に持論をさし挟んでくる。その一例である。以下引用文。(吉川一義訳)

《この世が誕生してこのかた、ある欠点がなんらかの形で見出される家族とそれと同じ欠点がべつの形で見出される家族とが結ばれて、子孫のうちに完全無欠なおぞましい変種をつくりだすと、蓄積されたエゴイズムは(さしあたりエゴイズムだけを問題にする)きわめて強力なものとなり、そのせいで人類全体が滅びるのではないかと心配してしまうが、滴虫類の無限の増殖のせいで地球が滅亡したり無性生殖のせいで植物界が絶滅したりするのを防ぐのと同様の自然の制限が、じつは悪そのものから生まれ、悪を適正な規模に縮小してくれるのである。》

まるで講義中に際限なく脱線する大学教授のようである。最近はそう思って読むと、脱線中の長い講義を聴いているようでむしろ安心して読んでいられる。そしていつの間にか本題に戻ってくる。以下引用文。(吉川一義訳)

《私が憶えているのは、その午後、ジルベルトがデュ・ロー氏と知り合いになれないだろうかとゲルマント夫人に訊ねたことである。公爵夫人が氏は病気でもはや外出しないと答えると、ジルベルトはどんな人かと訊ね、すこし顔を赤らめながら、その人の話をずいぶん聞いていたものですからと言い添えた(略)。「ブレオーテさんやアグリジャント大公のようなかただと考えたらよろしいのでしょうか?」とジルベルトは訊ねた。(略)「いいえ、まるきり違います。デュ・ローは、ペリゴール地方の貴族で、お国のあらゆる立派な作法と遠慮のなさを身につけたすてきな人ですわ。(略)私がいちばん好きだったのが、このデュ・ローと、あの魅力あふれるカジモドのようなブルトゥイユのおふたり。おまけにこの人たちが大変親しかったのが・・・(夫人はあなたの「お父さま」と言おうとしてハッと口をつぐんだ)。」》

このように登場人物のセリフが詳細なところがこの小説の特徴である。この後ジョッキーの次期会長戦に敗れたゲルマント氏の話が再び出てくるが、小説の不備というよりも老教授がまた同じことを話しだしたという風情を醸し出しているのである。