失われた時を求めて (78)

ショパンの生演奏が聴けたらどんなに凄いだろうか。以下引用文。(吉川一義訳)

《「ショパンが演奏するのを聴いたことは一度もないが」と男爵は言った、「しかしその機会がなかったわけじゃない。私はスタマティのレッスンを受けていたが、そのスタマティから、叔母のシメーのところで『ノクターン』の巨匠の演奏を聴くのを禁じられたんだ。」「その人もなんともばかなことをしたものですね!」とモレルが大きな声を出した。》

シャルリュス氏は若い頃音楽を志したが今は評論のみである。モレルが編曲した「聾作曲家」の弦楽四重奏曲を引き合いに出して、自分が作曲したように弾くべしと助言し、ベルリンのヴィルトゥオーソが聾作曲家のフレーズを模倣していると言及する。このように名指ししないで会話に盛り込むのがシャルリュス氏の流儀である。言及したのはベートーヴェンメンデルスゾーンのことである。

シャルリュス氏の男漁りの事が綴られる中盤で、この小説とは何かという答えがもう書かれている。

《しかしそれ以前に何故ジルベルトのことであんなに想い悩んだのか、ゲルマント夫人の友人となっても結局はもうゲルマント夫人のことなど考えずアルベルチーヌのことだけを考える結果になるのなら、なぜあれほどゲルマント夫人のために苦労したのか、当然そんな疑問が出るだろう。大いに幻影を愛したあのスワンなら、死ぬ前にこの問いに答えることができたかもしれない。(略)この道で見かけるナシやリンゴやタマリスクの木々はきっと私の死後にまで生き残るだろうと考えた私は、その木々から永遠の休息の時がいまだ告げられていないうちに仕事に取りかかるようにとの忠告を受けているような気がした。》