東洋文庫 夢酔独言 他 (1843)

著者の勝小吉(1802〜1850)は勝海舟の父にして宮本武蔵より凄い武士と言われている。さていったいどういう事なのか。本書に併録されている『平子竜先生遺事』を読んでみよう。

《二、或時又々平先生を尋ねしに、早速逢はれ、種々咄の間に、足下は学問は好み候やとの尋に、拙者学問一向嫌ひにて、読み候事これなき由候へば、それは悪しゝ。学問は英雄の下地なるに、これより心懸け候へとの事、予が答に、これまで親兄弟共度々進め入り候へども致さず候。余儀なく少々始めし事あるが、兎角気分に障り候由。尊師の仰故仕りたく候へども、右の通り故に、此儀ばかりは承知仕らざる由答へこれば、それならばそれにして置き候へ。然し学問せぬ武芸者は卑夫の勇にして、三味線弾き候芸者も同様なり。ただ忠孝を忘れざる様に心懸け申すべしとの事なり。》

もうこれはなかなかの文章だが解説文にはこう記されている。

《だが、ほとんど文盲にも等しかったこの男は、ほかの多くの旗本たちと違って、その晩年に思い立って文字を習い禿筆を呵して自らの生涯を省み書き記したのである。》

また解説文にはこうある。

《(略)少年麟太郎は貧乏にまけずに刻苦勉励、一日一食に耐えて剣術の稽古に励み、寒夜に王子権現で木剣を振い、弘福寺で座禅に打込み、蘭学を修業すれば、蘭和辞書を一年半かかって二部写し取り、兵書を写しに毎夜八キロの道を往復し、ほとんど稽古着のまま机に伏して眠り、夏は蚊帳もなく、希望のない青春時代を無償の行為で過ごしたのも、いわば父の小吉の理想にこたえ、平子竜先生を手本として生きたのであろう。》

三者とも凄い人物のようである。『夢酔独言』の方は口語調で書かれており、あまりピンと来なかった。