東洋文庫 東洋金鶏 (1866〜1868)

本書は幕府の旗本である川路聖謨(かわじとしあきら)がロンドン留学中の嫡孫、川路太郎に書き送った日記である。国内情勢や教訓、日常の雑事が主な内容である。本文より一部を紹介する。

《(1866年11月)廿二日 晴、夜微雨
夜に入り、例の通りお花来る。いろいろ話し中、宅状来る。老拙これを読む。日記、漢語・草書体、且つ老人燈火にて、漸くこれを読む。香港の体、漢土の衰弱の様子相分る。学者の方へ御出のけしき、轎(かご)に御乗り候図等詳かなり。覚えず四ッ半時〔午後十一時〕頃まで、はなし居り候。》

宅状とは太郎からの手紙で、香港の様子を書き送ってきたのである。

《(1866年12月)廿六日 晴(五十六度迄上る)
此の節は定めてロンドン府へ御着なるべし。御日記にてつらつらおもうに、赤道下は五十才以上にては越ゆること能わず。され共、十月出立にて、十一月に赤道にかかりたらばよからんと、国々のミンストル共がいいし。実なりけり。(略)》

《(1867年二月)十三日
太郎学問するに、西洋の善なる者をよく選び、学ぶべし。惑溺すべからず。英人より太郎への忠告に、日本は父母の国なり、片時も忘るべからずと云う。少しにても廉立ちたる時は、日本の衣服を着せ、他国の有益の書は翻訳して国人に教うるなど、西洋人の取り計らい感心なり。》

日記は1868年3月7日に終わっているが、15日午前聖謨は邸内にて自決している。官軍が江戸城に入るという噂が立った日という事である。