東洋文庫 洋楽事始 (1884)

本書は音楽取調掛の報告書『音楽取調成績申報書』の現代語訳であり、後半には小学唱歌集の楽譜が91曲収載されている。明治五年の学制開始に続いて明治十二年に着手されたこの取り組みは世界に類を見ないものである。

本文を読むと、このような構想が描かれている。

《右の如く東西二洋の音楽を折衷し、将来、我国楽を興すの一助たるべきものを造成するを以て、現今の要務となすときは、実際取調ぶべき事項、大綱三あるべし。曰く、東西二洋の音楽折衷に着手する事。曰く、将来国楽を興すべき人物を養成する事。曰く、諸学校に音楽を実施して適否を試る事。》

《又、右取調の為め、相当の家屋を備えざる可らず。然るに当時、我省勤倹を旨とせらるるの極めなれば、止を得ざる分は増築して、目下の用に供するを以て足れりとす可し。然して、斯る目的に最も適する者は、モルレー氏の旧居館ならん。因て其模様替増築等の見込は、別紙図面に認め、其費用の概略を掲記する、左の如し。》

《明治十三年三月 本郷文部省用地内第16番館を以て音楽取調掛とする。同年三月二日、米国人ルーサル・ホワイチング・メーソンを雇人れ、音楽教師と為す。》

このように何もないところから準備して、遂に東京音楽学校が設立される(明治二十年)。初代学長は伊沢修二である。凄いスピードで初等教育から高等教育まで手はずを整えたのである。