東洋文庫 日本教育史 1 (1890)

本書は神代から明治20年までの日本の教育史を記したもので当時の師範学校教科用書である。文部省総務局図書課の佐藤誠実氏により編纂された。なんとなく手に取る気がしない題名であるが読んでみると意外と面白い。一部を紹介する。

第一篇総説

(略)

応神天皇の時、百済より論語千字文を貢して、始て文字あり。且神教の外に、新に儒教を加えて、世始て二教あり。稚郎子皇子、仁徳天皇の、相譲り、顕宗天皇仁賢天皇の、互いに辞するの類、皆儒教より来れる者の如し。此朝には、木工、鍛工、裁縫、紡織の業、舶来して、工業滋〻盛に、允恭天皇の時には、医方、音楽輸入して、技術益〻明なり。其後欽明天皇の時に、仏教始て入りて、世に三教あり。其中に、仏教は推古天皇の時、厩戸皇子、篤く之を尊信せしに由り、漸く旺盛に趨けり。且此時、法令を定め、国史を撰し、留学生を支那に遣わし、儒教、医方を学ばしめ、百済よりは、暦学、天文、遁甲、方術の書を貢するありて、我邦文字ありてより、教育上に於いて、始て此盛あり。(略)

第五篇

(略) さて当時一般の教育法を言えば、下等の人は、多くは一丁字をも知らず。其学に就く者も、十歳頃より始め、十五歳頃まで、単に書を学び、其手本を読みて、別に読書せず。其手本は、伊呂波歌、童子教、実語教、庭訓往来の数部に出でず。其稍〻高尚なる者は、朗詠集等の詩文を以って手本とせしなり。さて此時、往来と云ふ者盛に行はれて、明衡往来、尺素往来の類数部あり。往来とは、書簡往復の事にて、皆之を習字に用いたる者なり。(略)

砲術

砲術は、蒙古来寇の時に、鉄砲を以って我を攻め〔しかど、未だ其器を我に伝へず。〕後奈良天皇の時に、葡萄牙人来たりて、鳥銃、及其法を種子島時尭に伝ふ。是に於いて根来寺の僧杉房、及紀州の人津田監物筑前の人、泊兵部少輔一火の如き、皆種子島に赴き、其術を学び、頗る精妙に至る。監物の流を津田流と云ひ、一火の流を一火流と云ふ。田布施源助忠宗と云ふ者あり、自ら欧洲に赴き、之を学びたり、之を田布施流とす。(略)又石火矢あり、即ち大砲なり。亦後奈良天皇の時に、大友宗麟葡萄牙の人より得たるを以って始とす。〔豊臣秀吉の、朝鮮を攻むるや、鳥銃、大砲に憑りて功を収むること多かりき。〕