岩波文庫 トゥバ紀行 (1931)

著者のオットー・メンヒェン=ヘルフェンはウィーン生まれの民俗学者で1929年にトゥバ入りし、調査活動に励んでこの書をものにした。とても理知的な人物でその文章からそれが窺われる。

《トゥバ人はいかなる肥料も用いない。降水量はわずかだし、犂はあまり深くは入らない。茎をむしりとってしまうので土地から栄養を取り上げることになる。こうしたことすべてと、その上、人が畑にほとんど注意を払わないこととがあいまって、なぜ収獲量が、かくもささやかであるかを説明している。土地の疲弊は、何年もの休閑期を余儀なくさせる。一言でいうと、トゥバ人は他のことなら何でもやえれる。農民として以外のことならば。

ひょっとしてトゥバ人だって農業をやれるときが来るかもしれない。いったい、いつからトゥバ人は穀物を栽培するようになったかは、ほとんど知るよしもない。ずっと昔からやっていたのではないことはたしかだ。かれらは耕作をよそから学んだ。ではいったい誰からか。モンゴル人からではない。モンゴル人は今日まで純粋な牧畜民だからだ。ではロシア人からであろうか。老人の入植者たちが話してくれたところでは、かれらがトゥバにやって来た一八八〇年代には、トゥバ人は全然農業を知らなかったという。しかしそれは信じられないことだ。もしかれらの言うことを信じるとなると、かれらはトゥバ人にやっとのことで食人をやめさせねばならなかったと言い張ったりするかもしれない。まるで暗黒の異教徒の地に文明をもたらす宣教師でもあるかのように。トゥバには「どこから」という問いが山ほどもあるが、この問いもまた、今のところ答えのないままに残されている。》

現地のロシア人入植者の証言があてにならない事をよく理解しているのである。このモンゴルにたんこぶのようにくっついている秘境がとてもよく解明されている良書である。