東洋文庫 魏晋南北朝通史 内編 (1932)岡崎文夫著

宦官による政治腐敗が進み後漢黄巾の乱によって滅亡して行くところから始まって楊堅が陳を征伐するまでを詳述する。陳寿の「三国志」、李延寿の「北史」「南史」、司馬光の「資治通鑑」、銭大昕の「二十二史考異」、王鳴盛の「十七史商榷(しょうかく)」、趙翼の「二十二史箚記(にじゅうにしさっき)」を主な出典とし著者が書き下ろした一般向けの本である。極一部を抜粋する。

第一章 魏晋時代

第四節 曹操北中国を統一す

董卓が洛陽で専横を極めたおり、かつて何進配下の中である袁紹曹操などはともに董卓の下に仕うるを潔しとせずして都を脱し東帰したのである。〜以下略〜

第五節 三分の勢成る

曹操はまず北中国の統一をほぼ終わったので、次には長江流域の統一に向かう順序となった。元来、河准流域を江漢の流域に接合する地点としては、漢代を通じて西では河南省南部の南陽、東では安徽北部の寿春を数える。〜省略〜はじめ曹操南征して襄陽を取るや、ただちに孫権に手書を与えてその降参を勧告した。〜省略〜ここに孫権はいよいよ態度を決定し、劉備と連合して曹操を激擊することになった。建安十三年(208A.D.)曹操の軍と連合軍とは赤壁に戦い、曹軍大敗して曹操南下の大計まったく挫折し、天下三分の局勢がここに樹立せられることになった。〜以下略〜

この後は

第二章 東晋五胡時代

第三章 南北朝時代 南朝

第四章 南北朝時代 北朝

と続く。