東洋文庫 ペルシア逸話集 (11、12世紀)

本書はペルシア逸話集と題されているが「カーブースの書」と「四つの講話」からなっている。

カーブースの書

これはカスピ海南岸地域に成立したズィーヤール朝(927〜1090頃)第7代王カイ・カーウースが息子ギーラーン・シャーのために著わした教訓の書である。当時ズィーヤール朝は東のガズニ朝、西のブワイ朝に挟まれ消滅の危機にあった。なのでカーウースは今後息子がどうやったら生き残れるかを自分が死ぬ前に書き残したのである。

(抜粋)

知れ。息子よ。私は老いてめっきり衰えてきた。わが顔にも髪にも人生への別離の辞が刻まれているのが見られ、いかに望んでもそれを拭い去ることはできない。そこで、息子よ、私は自分の名を過ぎ去らんとする人々の列に見出すので、別離の文が届く前に、運命の叱責、名声獲得の益について書を記しておくのが妥当だと思う。私が父性愛からそなたにこれを授けるのは、時の手で押しつぶされる前に、そなたが自ら知性の眼でわが言葉を視て、これらの忠言によって傑出し、両世界における名声を得てもらいたいからである。(中略)時代の風潮として、息子は父の忠言を実践しない。それは若者の心に火のような熱情があって、愚かしくも自分の知識が年寄りの知識より優れていると思い込んでいるからである。私にはこのことがわかっているが 父性愛から黙っておれない。(中略)私はこの書を四十四章とし、それをここに記す。

第11章 飲酒の作法

飲酒について語るに際し、私は酒を飲めとは言わぬが、飲むなとも言えない。若い人は他人の言葉で自分の行為を慎まぬからである。私もいろいろ言われたが聴かず五十の坂を越してやっと神の御慈悲で後悔を授かった。だがそなたが酒を飲まねば、現世と来世で功徳があり、至高なる神の恩寵に浴し、世人の非難、愚か者との交際、馬鹿げた行いから逃れるであろうし 家計の大きな節約になろう。

このような理由で、そなたが飲まぬに越したことはないが、そなたも若いことだし、友が飲まずに放っておかないのも私は存じている。「孤独は悪友にまさる」と言われている。だが飲むなら、改悛に思いをはせ、至高なる神に改悛のお導きを乞い、自分の行為を悔い改めよ。(以下略)

四つの講話 

本書はサマルカンド出身のニザーミー・アルーズィーがゴール朝(1117〜1210)の王子に捧げた講話集で書記、詩人、占星術師、医師の四章からなる。有名な部分を一ヶ所引用する。

占星術師 第七話 オマル・ハイヤームとの出会い

回歴506年(西暦1112年)、ハージャ・イマームオマル・ハイヤームとハージャ・イマーム・ムザッファル・イスフィザーリーはバルフの町で奴隷商人通りにあるアミール・アブー・サード・ジャッラの邸に滞在していた。そこで私もその集まりに加わった。饗宴がたけなわになると、私は真理の証、オマルがこう言うのを聞いた。「わが墓は毎年木々がわが上に二度、花を散らす場所にあるだろう」。私にはそのことが不可能に思えたが、彼ほどの人物がでたらめを言わないことを知っていた。

回歴530年(西暦1135年)、私がニーシャブールを訪れた時、その優れた人が顔に土の面紗をかぶり、下界が彼に取り残されてから四年たっていた。私は彼を師と仰いでいたので、ある金曜日にその墓を詣でに行き案内人を伴った。彼は私をヒーラの墓地に連れて行った。私は左手に回ると、庭園の土塀の真下に彼の墓を見た。梨と杏の木々が庭園を越して頭を出し、彼の墓に夥しい花びらを散らしていたので、墓は花に隠れてしまっていた。私はバルフの町で彼から聞いた話を思い出し、涙がこぼれた。(以下略)