汚辱の世界史 ボルヘス著 (1935)

悪党列伝とも言われるこの著には南北戦争前のアメリカや中国の海賊、江戸幕府の政治家についての実話が出てくるが最も興味を引いたのはホラサーン地方のメルブ(現トルクメニスタン)を舞台としたお話である。

ホラサーンとはペルシャの東方の辺境のようなところで、中世には文化が非常に栄えた。主要都市はニーシャプール、メルブ、ヘラート、バルフである。オマル・ハイヤームはニーシャプール、フェルドウスィーはトゥース出身である。

メルブのハキム

西暦732年ホラサーン地方のメルブ(現トルクメニスタン)に生まれる。伯父の元で染物師の修行をしたとされている。アラビア語の古写本「薔薇の根絶」の一節が引用されている。

私の顔は今金色に輝いている。むかしまだ若かった頃、わたしは染料を溶かしては二晩目に未梳毛を染め、三晩目に加工毛を染めるという仕事をしていた。諸国の皇帝たちは今もこの真紅の織物を競って求める。被造物の本当の色を撹乱することで、わたしは罪を犯したのだ。羊は虎の色をしていないと天使が言えば、悪魔はいや全能の神はそうしたいとおもっているし、現におまえの技術と染料を利用しているではないかという。天使も悪魔も真実から逸脱していたこと、色というものはすべて厭わしいものであることが、いまのわたしにはわかっている。

西暦774年のラマダンの日、メルブの近郊でキャラバン隊が出逢ったのは二人の盲人を連れた仮面の男であった。男は自分は預言者であり自分の言葉を復唱すれば唇が焼けただれ、自分の顔を見れば目が潰れるのだといい、聖戦に加わるようキャラバン隊に告げた。すると突然豹が鎖を切って飛び出し、キャラバン隊は逃げ出したがその豹は盲目になっていたという。

この様にして反乱軍を組織したハキムはアッバース朝の軍隊を各地で打ち破って行く。西暦777年にはニーシャプールを、778年にはアステラバードを陥落させた。

「薔薇の根絶」からの一節が引用されている。

わたしの言葉を否定し、わたしの宝飾のヴェールと顔を否定するものは、驚異の地獄を約束される。彼らはおのおの、999の燃えさかる王国を支配するだろう。さらにおのおのの王国のなかで、999の燃えさかる山を、おのおのの山で999の燃えさかる城を、おのおのの城で999の燃える寝室を、おのおのの寝室で999の燃える寝台を支配するだろう。またおのおのの寝台には生前の自分がいて、自分と同じ顔、同じ声をした999の燃える人影によって永遠の拷問の責苦を受けるだろう。

(略)

この世において、おまえたちは一つの肉体において苦しむ。死と応報の時には、無数の肉体において苦しむだろう。

(略)

その夜は果てることがなく、そこには石でできた泉がある。この天国の歓びは、別離と断念と睡りに生きている生きていることを知る者の特異な歓びである。

これらの詩から預言者ハキムの思想がうかがわれる。

西暦779年ハキムはサナムにおいてカリフの軍勢によって包囲される。ハレムを逃げ出した女の証言から二人の指揮官は勝利の祈願を行なっているハキムの仮面を剥ぎ取ると癩病に侵された顔を確認しハキムを槍で突き刺したのである。