失われた時を求めて (80)

パリ大学医学部教授コタール氏についてのプルーストの評価である。以下引用文。(吉川一義訳)

《ドクターは田舎女である母親の乏しい知恵袋からとり出された助言を胸にパリに出てきたあと、医学の道で出世をめざす者が長年にわたって積まざるをえない純粋に即物的な研鑽に明け暮れたせいで、教養を身につける機会を逸し、権威こそ増大したが、経験は少しも豊かにならなかった。》

本当に辛口な批評だが、これでは客観性があるとは言えないだろう。だがプルーストの洞察力は大したものだ。シェルバトフ大公妃に冷たくあしらわれた後にこのような「人間の法則」を創案している。

《その法則とは––もとより例外はいくらでもある––頑固者とは他人に受け入れられなかった弱者であり、他人に受け入れられるかどうかなどには頓着しない強者だけが、世間の人が弱点とみなす優しさを持つことである。》

プルーストは警句を作る名手でもある。

この小説では時々発作的にシェークスピア劇の様な展開が現われる。モレルがシャルリュス氏の誘いを袖にした事がきっかけである。モレルの悪口を言った将校に対しシャルリュス氏は決闘を申し込むと言い、介添人に手紙を書いたのだ。たまたま側にいたプルーストはこの事情を書いた手紙をモレルの許へ届け、びっくり仰天したモレルはシャルリュス氏のところへ駆けつけるのである。興奮したシャルリュス氏はこう叫んだ。以下引用文。(吉川一義訳)

《「『鷲の子』のサラ・ベルナールを観る、それがどうした、糞みたいなもんだ。『オイディプス王』のムネ・シュリー?これも糞だ。せいぜいニーム円形闘技場で上演されて、ヤツの顔が青く変容するくらいだ。そんなものがいったいなんだというのだ、この前代未聞のできごと、かの「元帥」の直系の末裔が闘うところを見るのと比べれば!」》

モレルが大人しく帰ってきた事に安堵したシャルリュス氏はさらにこう叫ぶ。

《「ハレルヤ」》