東洋文庫 アメリカ彦蔵自伝 1 (1892)

イギリスのテレビ局に倣い「播磨国7歳になりました」風に書く。人は7歳までに作られるという伝の検証である。

彦太郎、1837年に今の兵庫県播磨町に生誕する。幼少時に父が病死し継父に育てられる。この時浜田町に移り寺子屋に通っていた。(後年浜田彦蔵と名乗ることになる。)この年、従兄の船で金比羅参りをした。彦太郎の兄は16歳で船乗りに弟子入りし二等航海士として活躍している。彦太郎も将来は船乗りになる事を希望していた。母は反対はしなかったが、辛い船乗りより兵庫の商館に入って商業の道を進むよう勧めている。

14歳 前年に母が死去し浜田町にいる理由もなくなったので継父と住吉丸で江戸に向かう。熊野で栄力丸に乗り換え江戸を見物したが伊勢方面へ向かう途中遠州灘で遭難。漂流後アメリカの船オークランド号に救助され翌年サンフランシスコに着く。翌年軍艦セント・メリーに乗りハワイ、香港と進んだが結局サンフランシスコに戻り就職する。

21歳 ボルチモア帰化し市民権を得る。測量船の書記としてクーパー号に乗り太平洋に出航する。翌年日本に上陸し兄と会う。23歳のとき横浜で貿易商社を開く。

35歳 大蔵省会計局に職を得る。マリア・ルース号事件の通訳を務めた。

40歳 このころ松本銀子と結婚

55歳 自伝が英文で刊行される(1892)

60歳 死去

これを見ると7歳までに彦太郎は船乗りになりたいという願望を持ち、母から商館員になる事を吹き込まれている。あとは遭難というアクシデントと米国での教育が彼の能力を倍増させたのだ。