松原哲明著 人生ゆっくり生きてみなさい (1990)

著者は東京三田の龍源寺住職で著書多数、講演を年間250回もこなしていたという人物である。早稲田の大学院を卒業し一流企業のサラリーマンを経て家業を継いでいる。本書は講演のネタ本のような構成で一般人の食いつきの良い話題がほとんどである。健康、医者、サラリーマン生活、自分の失敗談、結婚生活、等々。一部を抜粋して吟味してみる。

<読書について>

(略)

私は僧侶だから、もちろん、仏教関係の書物を読む。特に、宗派は禅ゆえに、禅についての質問を受けて何も答えられぬというのは恥ずかしいし情けないので、しっかりと読んだ。栄西道元・一休・白隠良寛・沢庵らの名僧は禅に多い。それらを読んでいくうちに、だんだんつまらなくなったのである。それはそうである。彼らが言っていることややっていることの範疇で私たち禅僧は修行している。つまり私たちは知らぬ間に範疇内に閉じ込められてしまったのだ。だから、禅宗の人間が禅宗の本を読んでゆくと、つまらなくなってしまうのである。(略)どうしたらよいか。そこで私は、自分とはいっさい関係のない書物を開くことにしたのである。正式な書物の名前は忘れてしまったが、たとえば、トンビはなぜ右回りに飛ぶとか、漂泊の詩人・若山牧水、あるいは『史記』『漢書』などを読み始めて長い。つまり、仏教書を離れて、科学、詩歌、史書など、仏教とあまり関係のない分野の本を読んでいた。 関係なさそうな本を読んでいた時に、あっと思った。関係なさそうに思っていたけれど、それらを読んでいくうちに、私に今一番欠けていたのは、科学する心と、詩歌する心と、歴史に関する知識であったということだった。そうすると、いまだに読んでいない芸術・美術・音楽などの世界は、私は全く知らない故に、私には全く欠如しているということになる。これは一面、大変恐ろしいことではないか。

<お酒>

酒について何か書けと言われれば、自分では毎晩のように飲んでいて、他人にはほどほどにとは言えまい。私自身、時に深酒して、どうやって布団の中に辿り着いたのかわからぬことがあるのに、他人には酒には飲まれぬなよなどとは言えない。(以下略)

<書斎>

今まで通された書斎の中で、すばらしいなと思ったのは、東大研究室にいる仏教学者・鎌田茂雄先生のところであった。ここは、書斎というよりも研究室と言うべきだけど、最高の壺中の天であった。

先生はいわゆる事務机を四つ「田」の字に並べ、その一つ一つの机に、電気スタンドを置き、たとえば第一の机は研究書執筆、第二は講義用、第三には雑文執筆、第四はその他といった具合に執筆別の仕事場を設け、朝七時には研究室に入り、第一の机から順次、第二、第三、第四とまわり、夜遅く自宅へ帰るというのである。(略) 私は早速私自身の壺中の天を構築する作業にとりかかった。(略)そういうところから、本堂の裏に二階建ての家を新しく作り、上を書庫、下の半分が納戸、その残りをわが壺中としたのだ。

大きさは四畳くらいである。一方の壁には字書類の書棚を置いた。そして反対側は、ちょうどお寿司屋さんのカウンターのようにしつらえて、三箇所に電気スタンドを置き、右は単行本、中央は連載ものの、それぞれの執筆場と定め、左は単発ものの原稿を書く場所とし、電話とファクシミリを備え、壺中の天として愉快に仕事をすることにしたのである。

<ライフワーク>

私は今、一生涯の仕事として、玄奘三蔵法師の足跡を追い続けている。(略)私は今、意中の人、玄奘三蔵法師の跡を、母と息子の二人を引き連れてルポしている。ターリム盆地にあるタクラマカン砂漠、天山南路や、西域南道の各オアシスに、玄奘三蔵法師の足跡を訪ねるのは楽しいものだ。

パミール高原にも踏み入った。たぶん高度4000メートルに近い、カラクリ湖に映るムスタグ・アタ・タングールの白い7000メートル級の山々はすごかった。インドの各地もルポしている。母と息子と私と三人で、玄奘三蔵法師の足跡を追えるなんて、自分でいい人生していると思っている。

以上本文より抜粋。

どうも謙遜もあるようだが読書の項における問題は、当人が若いうちにリベラルアーツに親しんでいたかどうかである。著者はこのことに気づいただけ偉いと言える。