東洋文庫 修験道史研究(1942、1972)

本書は和歌森太郎卒業論文に数編を加えて昭和十七年に河出書房より刊行されたものの復刻である。一部を紹介する。

10P 《はじめ、漠然と、修験道及びその主体たる山臥のことを歴史的に考究しようと志したさいに、思い浮かべた山臥は、第一に述べたような山岳修行者としての宗教家たる以上に、すなわち全般の民族的山岳崇拝に支えられた山岳練行家たる以上に、なおいえば「山人として仰がれ畏れられたという面以上に、その「山人」が兼ねて咒術師なるがゆえにいっそう世の信頼を得たという、山人的咒術師たるの面目をも含んでいたのである。」》

35P 《以上要するに、役小角という人物が、山岳信仰と咒術とが極めて重大意義をもっていた上代において、霊異の地葛城山の神を負う、反国権的な優れた咒術師ととして、とにかく世間の信望を獲、わが古代山岳宗教界に高い地位を占めていた事実を推測したのである。後に述べるように、彼がやがて「役行者」として伝説化され種々さまざまに喧伝される、そもそもの素のは、すでにこの小角の史実にも宿っているから、実在者としての彼をいちおう推定しておくことが必要であったのであるが、同時に、私は、彼を観ることによって上代に顕著な葛城山信仰の性質を窺い、以て後に重要論題となる吉野・熊野・大峯等の信仰の性質ひいては修験道の形成をより明らかにする資となそうとしたのである。》

64P 《前代において金峯山は現実生活の理想的に純化された処として信仰されてきた。平安前期の教風より推せば、『法華経』の霊山浄土観・真言密教浄土観のごとき現世浄土との観念がこの山にも寄せられたはずである。密教の説く即身成仏論は畢竟法身士たる浄土に往生することを示すに他ならぬ。したがって到る所浄土たり得るが機根の弱い者に対しては方便としてその方処を示すのであるから、そういう便宜の浄土としてもまず金峯山が思い起こされたことと思われる。ことに黄金まばゆい金峯山もは神仙が宿るという道教的観念は、その性質上密教の中にも含まれていたろうし、空海を尊崇しこれを研究する密教家が『三教指帰』を承けて祖述したことと思う。この永遠不変の光明土としての金峯山が密教とともに徹底したればこそ、これを背景にして先に述べたような意味での金剛蔵王菩薩も成立したのえある。》

修験道史と名乗るわりには近世の修験道出羽三山の山伏についての言及が無く、民俗学的アプローチも不十分である。という旨を著者自身あとがきに書いているのである。