岩波文庫 存在と時間 (3)

方法論としての現象学を調べて行くとフッサールの主張は対象への接近度と観察者の直観を重視しているように見受けられる。データを取る対象を近代的視点から記述して行くと確かに失われれてしまうものが多くなる。人類学研究の理想は部族の一員になりきって、近代的思考を排し、自らの原始の直観を呼び覚ます事で十全な結果を得ることができる。梅棹忠夫は経験上この事を体得していると言えるだろう。

哲学の存在論においてこの事を実行すると、観察者である自分が対象であるコップに接近してゆき、コップ自体になりきり、直観を用いてコップの思考をしようということになる。投げられたら言語道断という気持ちになるだろう。

すると自分はどうなるのか。この一派は超越的存在と呼んで言葉を濁しているが、本来は他者によって調査分析される以外に自分のことは自分ではわからないのである。