岩波文庫 存在と時間 (4)

改めて冒頭の部分を読んでみる。(P67)

《「というのも、『存在する』という表現をつかう場合、じぶんたちがそもそもなにを意味しているのか、きみたちのほうがやはり、ずっとまえからよく知っているのはあきらかだからだ。私たちの側はどうかといえば、以前にはそれでも理解していると信じていたにもかかわらず、いまでは困惑してしまっている」

『存在する』という語で、私たちはそもそもなにを意味しているのか。この問いに対して、こんにちも私たちはなんらかの答えをもっているだろうか。まったくもっていない。だからこそ、存在の意味への問いをあらためて設定することが必要なのである。(略)『存在』の意味への問いを具体的に仕上げることが、以下の論考の意図するところである。いっさいの存在了解一般を可能にする地平として時間を解釈することが、その当座の目標となるのである。》

引用文はプラトンだが、やっぱりソクラテスの『メノン』に戻っているようだ。しかも『問い』を設定するだけで、『答え』は用意されているわけでも無い。『時間』を交えて論ずれば、あわよくばという感じである。もうこの段階で行く末が想像できる。