NHK BS カラーで見るスターリン (2013)

      人民の親愛なる父と呼ばれたヨシフ・スターリンの悪行を暴くフランス制作のドキュメンタリーである。スターリンは自国民を100万人処刑し、1800万人を強制労働させ、700万人以上を餓死させたと云われる。

    ヨシフは靴職人の息子として生まれ正教会の神学校に進み武装蜂起に参加する。レーニンとともにロシア革命を推し進めるがレーニンの死、トロツキーの失脚によりボルシェビキのトップになる。クレムリンを拠点として過去の遺物を破壊、みんなが平等に医療と教育を受けられ生産活動に従事する政策を実施する。ナージャとの間に二人の子がある。ヨシフは背も低く顔には天然痘の痕もある。シークレットシューズを履き厚い板の上に立ったという。国民生活はだんだん悪化してくる。コルホーズへの参加を拒む農民からは秘密警察を使って収穫物を奪っていった。   
 
    1933年ウクライナでの大飢饉で農民ら500万人が見捨てられた。この事実は隠蔽され盛んにプロパガンダ映画、粉飾決算を作り出した。共産主義の失敗は妨害工作によるものであるとして責任者を裁判にかけ死刑にしていった。毛沢東ポルポトの言い分とよく似ている。  
 
  私生活ではヨシフに対する怒りが爆発しナージャは自殺したが虫垂炎による死と発表された。1930年代にはソ連警察国家になる。秘密警察が無実の罪により国民を収容所送りにし、思想改造と称して強制労働させた。

     1933年バルト海白海間の運河が完成する(スターリン運河)。この工事で3万人の労働者が死亡する。運河は浅すぎて船が航海出来なかった失敗事業だった。毎年世界中の共産主義者が集まり大会を催す。スターリンは権力を固めるため同年代の党員を次々と殺していった。続いて国民の粛清へと向かう。
 1日平均1000人を処刑したという(大粛清)。秘密警察長官のニコライ・エジョフも処刑された。

  処刑を逃れ忠誠を誓った者はノーメンクラツーラと呼ばれる貴族となった。やがてナチスドイツのバルバロッサ作戦が始まる。その実写映像が出てくる。スターリンは大粛清によって2万人の将校を抹殺していたのでドイツ軍はモスクワ近郊まで侵攻してくるが、かろうじてモスクワ陥落は逃れる。スターリングラードの戦いも失敗しナチスは破れる。反撃に転じたソ連軍は1945年ベルリンに到達しナチスドイツを降伏させた。だがこれには途方も無い犠牲が払われている。2600万人が死亡した。

   1945年にはスターリンは栄光に包まれていた。しかし健康状態は悪化し家族とも不仲になり孤独になってゆく。粛清も再び開始した。1953年スターリンは自分の部屋で一人死去する。粛清を恐れ医者も診察を拒否していたという。