ドキュメンタリー みなまた日記 甦る魂を訪ねて (1996)

  1995年土本典昭監督が助手の土本基子を連れて水俣病で亡くなった患者さんの遺影を一年かけて一枚一枚撮影して回る。1994年11月に埋立地で行われた第一回火のまつりの映像が出てくる。市長と患者有志が挨拶する。1200本の松明が立てられ笛の音にのせて巫女姿の杉本栄子が祈りの言葉を朗読する。埋立地はかつてヘドロの海だった所でドラム缶に詰められた魚が埋まっている。かつての海と今の百間排水口の映像が出てくる。ここの道の一角に患者の川本輝夫氏が無断で地蔵を建立した。1994年は水俣病問題の全面解決のための和解が進んでいた。患者連合の会合で佐々木会長が挨拶する。あとは宴会になりみんなで食事を楽しんだ。

  水俣入りして一ヶ月準備するが反応がにぶい。秋も深まりはぜの実がなっている。すると会長から自分の父親の遺影を撮ってくれとの申し出がある。父親は重症の患者だった。首も足も硬直している写真がある。佐々木会長は講演活動も活発に行っている。冬になり大根が干してある。翌年になりえびす祭りに招かれる。漁師の正月の祭りだが魚料理を男が準備している。女島から1キロの無人島にえびす様が祀られている。供え物をし清酒をかける。公民館で宴会が行われる。町長が挨拶した。正月を終え68人の遺影が撮影できた。

  荒地になっている埋立地の利用について患者側が野仏を置きたいとして会を発足する。杉本栄子女史が会の趣旨を述べる。石仏を自分たちで彫る事を考えている。4月になり桜が満開になる。丸島神社では老人たちが花見しながら踊りを楽しんでいる。踊りの好きな土地柄だという。

  梅戸はチッソ水俣の専用港である。ここは貝が全滅したという。地元の人が貝と海藻の説明をする。今では食べても大丈夫では無いかという。5月1日慰霊式展が行われる。県知事の姿が見える。市長が挨拶し参加者が順々に献花した。和解が近づく状況のもと患者連合の会長も演壇に登った。津奈木町での田植えの風景が見られる。山の湧き水を利用したこじんまりとした田になっている。ここには至る所に彫刻やモニュメントが建っている。この地区では100人に8人が患者だったという。

  埋立地喜納昌吉のコンサートが行われる。ここには因縁がありかつて市が主催する1万人コンサートが行われたが患者側から反発が出たという。今回は患者側からの求めで喜納昌吉が呼ばれたという。代表曲の「花 〜すべての人の心に花を〜」などが力強く歌われる。水俣病資料館で語り部の時間がある。車椅子の初老の患者が語る。女性は結婚できず男性は辛うじて結婚できるという。8月になり八朔祭が行われる。乙女塚で法要が行われる。患者達が集まり焼香してゆく。ここで見られた夕焼けは浄土を見るようだと監督は言う。苦海浄土の事が念頭にある。柏木敏治が「海の子守唄」を歌いワークショップ形式の寸劇が行われる。ここでは胎児性水俣病の患者達が参加している。

  離島の漁村に向かう。僻地ゆえに救済が遅れているという。ここでは27枚の遺影が集められた。埋立地の一角に石仏が建てられ能楽師大倉正之助氏が鎮魂の鼓を打つ。雲間から島々に陽の光が射しているのが見える。一年が過ぎ五百人の遺影を集めてこの旅を終わる。

  監督の言う通りこのドキュメンタリーは息抜き的で私家版的なものであり特に正義を振りかざしたようなものでは無い。だがドキュメンタリーとしては淡々として彼岸のような味わいがある。