一時帰国の途についたチョウ・チョウ・ソー(53)はミャンマーに降り立つ。1988年民主化デモが起こると翌月の軍事クーデターによりデモは鎮圧される。当時会計士だったソーは学生と共にデモに参加し3年後日本に政治亡命する。電気工の仕事を経てイタリア料理店で働き今は高田馬場にミャンマー料理の店を開いている。まあまあ成功した部類と言って良い。夫婦で帰国し学校を開く計画を立てている。現在のヤンゴンの発展は著しい。ソーは姉の家を訪れる。妻の実家に寝泊まりする。母校のヤンゴン経済大学を訪れる。学生はきれいな身なりをし政治に興味は無いという。帰国パーティーが開かれるがデモに参加した友人はいない。不審に思って友人に会い仲間の動向を探ると彼らは国会議員、都市開発局の幹部になっているという。大学の恩師はヤンゴン市長になっていた。皆賢明にも活動を控え政権に同調する道を選んだという。ソーは三週間の滞在を終え日本に帰っていった。
ラ・エ・マウン(48)は日本に移り住んで21年になるが民主化されたミャンマーに帰るかどうか決めかねている。マウンはコンビニと居酒屋で働き家族を支えている。子供は日本に残りたいと思っているようだがマウンは5年後に 国に帰るつもりのようだ。マウンは一時帰国し母のいる故郷シットウェーを訪れる。母は姉夫婦と暮らしている。家族はマウンの政治運動には反対だった。ヤンゴンと違いシットウェーは発展とは程遠い状態だ。かつての友人はラカイン州の州議会議員になっている。かつて通っていた高校を訪れる。マウンは成績優秀者だったという。子供達に将来の進む道を聞く。中にはアラカン軍の戦士になるという子もいる。だが中東と違って温和な感じの子供達だ。
後日ソーを取材すると今度は政治家を目指すという。ソーは首都ネピドーを訪れる。アラカン国民党の議員と面会する。今の政府は地方民に強権的だという。USPDの議員に会う。ソーは今度はUSPD側に立とうとしているようだ。
マウンは内戦の行われているラカイン州のチャウトを訪れる。避難民の村である。村ごと逃げてきたという。避難民が内戦の状況を語る。シットウェーに戻ったマウンは裁判所の前に集まった人権活動家を支援する人たちを目撃する。裁判を終えた人権活動家がカメラ目線で自身の主張を述べる。最後にマウンが総括する。将来を見据えたような言辞はさすがかつての成績優秀者だ。
現実はこのようにどんよりとしたものだが二人の亡命者を密着取材することでこのドキュメンタリーは成功していると言える。