BSドキュメンタリー 告白 僕は不法移民なのか 〜米移民法改正論議〜 前編(2013)

  ピューリツァー賞受賞ジャーナリスト、ホセ・アントニオ・ヴァルガスは母校であるカリフォルニア州のマウンテンビュー高校を訪れ講演する。生徒達にドリーム法について質問を投げかける。ドリーム法とは滞在資格を証明する書類のない移民(不法滞在者)に市民権を与える法律である。生徒に不法移民に対する印象を述べさせた後自分が不法移民である事を告白する。

  2010年12月に上院でこのドリーム法は否決される。移民問題活動家のギャビー・パチェコは抗議運動のためフロリダからワシントンまで行進した。2011年4月ヴァルガスはこの問題での活動を開始する。まずNYタイムズに自分が不法移民であるという手記を発表する。弁護士は強制送還の可能性があると警告する。ニュース番組でインタビューを受ける。ホセは自分は人間であり不法移民と呼ばれたくないと主張する。

  一連の活動後ホセは運転免許証を取り消された。だがフィリピン大使館からパスポートを発行された。これにはヴィザが付いていない。当局に見つかればやはり強制送還である。フィリピン人になったホセは講演会を開き不法移民の現状について述べる。「アメリカ人の定義」という演題である。更に自分がゲイであることも告白する。高校時代にジャーナリストを志したホセは就職の時、書類に嘘のチェックを入れた事を告白する。いくつかの社を経てワシントンポスト紙に就職したホセは上司に身の上話をしたと言う。上司はホセのためを思い見逃してくれた。

  マニラで母と暮らしていたホセは1963年、12歳の時ブローカーに連れられ単身米国に渡り祖母の元で生活を始める。テレビを見て育ったホセは将来は自分もいい暮らしができると夢想していた。だが祖父は警備員、祖母はウェイトレスであるという現実を思い知る。ホセは言葉の訛りを修正し赤毛のアンを愛読したと言う。16歳の時運転免許センターで自分のグリーンカードが偽造である事を知らされショックを受けたと言う。

2011年9月アラバマ州で不法移民取締法が施行され4%いる不法移民を不安に陥れる。これに対し市民の意見は概ね賛成だがホセが持論を展開すると市民の一人は考えを改める。ホセは農場を訪れる。パコというラテン系の不法移民を雇っている農場主は共和党の政策には反対だと言う。

  不法移民は国に戻りグリーンカードの順番を待てと言う人も居る。これに対してはホセも言い返す言葉が無い。言えるのは自分は18歳から納税していたという事くらいである。

  ホセの母はフィリピン在住だが無職の為観光ヴィザも下りないという。オバマ大統領はこれまでに200万人を強制送還したという。だが2012年6月オバマ大統領は30歳以下の不法移民の国外退去処分の一時延期を発表する。ホセは31歳である。果たしてホセは国外退去になるのか? (後編に続く)