埴谷雄高 死霊 その5

   かつての旧制高校時代に寮の小図書館に居住していた黒川健吉は都内の大学に進学したが今は郊外に屋根裏部屋を借りて一人で住んでいる。大学へはほとんど行かず昼間は寝て夜になると徘徊するという毎日である。近所に住む朝鮮籍の人物と懇意になり時々挨拶を交わす。この部屋は一時期左翼学生の集会場として使われていた事もあったが本人は至ってノンポリである。破風に住む蝙蝠と仲良しになるほどの変人で人とは付き合おうとはしない。

    そこへある日首猛夫がやってくる。またまた議論をふっかけに来たわけだがまずは自分が逮捕された時の状況を詳しく話し出す。 ついで黒川健吉が話始めたことは大変重要なことだった。歴史とは逸脱の歴史である。事実の集積が歴史なのではない。無限大に逸脱する亡霊が歴史を新しく作って行く。その嵐に巻き込まれると美しい風景も美しい感情も消え去ってしまう。

     逸脱者とは誰か?キリストもそうであり私もそうなのだという。いままでの科学を凌駕する神のような技術、それは一切が死滅した未来に置いた眼から今を見る事によって実現できるのだという。そう述べた黒川健吉は眼を閉じて氷のように固まっている。そして三輪与志の考える虚軆論について話し始める。

    虚軆とは我々の身の回りにある実体に相対する概念であるが説明するのは難しいようだ。黒川健吉の熱弁を聴いてもピンとこないのである。実体が解離した時の不快、自ら解離しようとする与志について述べる。だが解離したからと言って虚軆が現れるわけでもない。ただ最後には三輪与志は宇宙から永遠の虚無を取り除くという課題を栄光とともに成し遂げるだろうと黒川健吉は云う。