紀元前753年ロムスとレムスというラテン人の兄弟がティベレ川のほとりにローマを建国したという伝説でローマの長い歴史が幕を開ける。その頃のイタリア半島は北部にエトルリア人、南部にギリシャ人がすでに都市を建設しており繁栄していた。エトルリア人は建設技術に優れギリシャ人は通商で優れていたが都市国家から抜け出すような発展性を持つには至らなかった。
ローマ人は7つの丘に本拠地を置き戦争により周辺を従えて行く。ローマは建国当初は王制の国だったが七代目の王タルクイニウスを最後に共和制へと移行する。二人の執政官と元老院による体制である。執政官の任期は一年で市民集会により選ばれる。当時先進国だったギリシャに視察団を送り法を整備して行く。まず12条の法を成文化し護民官を創設する。これによって貴族の独裁から市民の権利を守るようにする。
このようにローマは戦争に適した体制を整えつつエトルリア人の都市国家を撃破して行くが最初の試練が訪れる。紀元前390年のケルト人の襲来である。剣と槍を操り歩兵と騎兵で勇猛に攻めて来るケルト人にあっという間に敗れたローマはカピトリーノの丘に籠城する。ローマの街では7ヶ月に及ぶ略奪が行われる。だがケルト人が野蛮すぎて都市を上手く使えなかった事もあり黄金300キロを渡して帰ってもらう事になる。このケルトショックから立ち直るのに40年を要している。
ローマ人はさらに政治改革を進め任期半年の独裁官の制度を設ける。軍用のための街道を整備する。南の方に軍を進めナポリ、カプアを制圧する。いよいよ山岳地帯に住むサムニウム族と戦火を交えることになる。だがここでもローマは屈辱的な敗退を喫する事になる。和平を結ぶが数年後再び攻略し今度は成功する。
次はいよいよ良港を持つ南部の都市ターラントの攻略に入る。ターラントは豊富な財力を使ってギリシャの名将ピュロスを招いてローマと対峙する事になる。ピュロスは象を駆使する巧妙な作戦で度々ローマ軍を撃破するが徐々に消耗し最後はギリシャへ帰って行った。こうして南部も制圧したローマはイタリア半島をほぼ版図に納めるのである。
塩野女史によるこの本はとても有名だが饒舌に過ぎているように思う。簡略にまとめると要点はこれだけである。