本書は唐の高級官僚である張彦遠が著した画論・画史の著作であると言う。古代から唐までの画家について述べられている。顧愷之(東晋)、王羲之(東晋)、王維(唐)らの画家が今もその作品が愛され伝えられているが、真筆は戦乱のためすでに消失したと言われている。これらの画家についての言及を原文の現代語訳で示す。以下引用文。
《古来の絵画を論ずるものは、顧愷之の作品がたぐいなく天然の妙を得ているので、評価の埒外におく。その顧愷之が魏晋の画家を評論して、ふかく衛協を推奨していることから考えると、衛協は顧愷之に劣るものではないことが分かる。「狸骨の方」を王羲之が感嘆し、「竜頭の画」を謝赫が高く評価している例からいっても、すぐれた人は容易に価値を認めようとしないものである。後世の凡俗にどうして分かろうか。》
《ある人がわたくしに、顧愷之・陸探微・張僧繇・呉道玄の用筆はどうだ、とたずねた。わたくしは答えた。「顧愷之の筆迹は、ひきしまった線が切れ目なくつらなり、捕らえどころなく変化し、拡張は自然で、しかも疾風雷神の趣きがある。」》
《わが唐代の呉道玄は、古今独歩で、前代の顧愷之、陸探微も顔色なく、また後世につづく者もない。道玄は筆法を張旭に授かった。》
《趣味のある人は、百幅の宣紙を用意し、型通り蠟をひいて模写の準備をしておくのがよい〈顧愷之は模搨の妙法を心得ていた〉。昔はよく模写画がよろこばれた。十のうち七八までは写しとることができて、原本の神彩と筆跡を失うことがない。また御府の模本があるが、これを官搨とよぶ。わが唐朝では内庫・翰林院・集賢殿・秘閣でたえず模写がおこなわれていた。平和の時代には搨写が盛んに行われたが、安史の乱ののちには、次第にすたれた。》
《いったい民間人の収蔵には、顧・陸・張・呉という有名作家の巻軸をもっていなければ、図画を収蔵するなどとはいえない。ちょうど、書籍をもっているといって、九教の五教(『易』『書』『詩』『礼記』『春秋』『孝経』『論語』『孟子』『周礼』)・三史(『史記』『漢書』『後漢書』)がなくてはすまされぬのと同じである。》