東洋文庫 鹿洲公案 清朝地方裁判官の記録 (1730年頃)

本書は広東省の潮陽県の知事代理だった藍鼎元が記録した当時の裁判記録であり、ほぼ実際にあった事という。本文を読んで行くとわかるが、藍鼎元は大した人物であり、書かれている内容は小説以上に面白い。

1 県吏員のストライキ

飢饉と税収不足で軍の兵糧が欠配し、官吏が腐敗していた潮陽県に知事代理として赴任した著者が(本来は普寧県知事)、手腕を発揮して成功を収める話である。目の付け所の良さと、豪胆なところが成功した理由であるだろう。本文の一部を紹介する。

《新しい条件で租税徴収をはじめて十日たつと、倉庫に米穀の蓄積ができたので、軍隊に対して遅ればせながら五月分と六月分の食糧を支給した。潮陽営の連隊から始めて、次は海門、次は達濠、次は潮州城内守備連隊、またその次は恵来連隊という順に、一回りして終わればまた始める。ついで七、八両月分を支給した。そのあと続々租税収入があり、倉庫が満ちると支出し、支出したと思うとやがて一ぱいになる。九月、十月、十一月、十二月と年内の分を滞りなくすませ、十二月二十八日になると遅配分を全部完配して、一升一斗の借りもなくなった。》

2 屍体を運んだ三人の悪者

弟が義理の母に毒殺されたと訴え出た事件で、捜査のため墓を掘ってみるともぬけの殻だったという話である。これは三百代言を生業とする悪人が仕組んだ冤罪事件で、著者が大岡越前のように真犯人を暴き、名判決を下す。ただし拷問を用いて自白させている。これも本文の一部を紹介する。

《ところが私にはまた私の考えがあったのだ。現場から県城に向かって一キロも進んだところで、こっそり、うでききの刑事の林才をよんで命令した。「お前は、即刻私服になって県城にかけつけろ。県城の東門にある旅店で、王士毅という男がいつから逗留していたかをしらべろ。王士毅の部屋へふみこんで見ろ。そこに居た奴は有無をいわさずふん縛っておけ。」
そのあと私はゆっくり県庁へ戻ってくると、果たして林才は三百代言の王爵亭という男を引っ立ててきた。(略)しかし考えれば王士毅が代書人や保証人のところへ、単独で相談に行ったはずはない。必ずやこの男の指図を受けたに違いないのだ。そこで訴状の代書人と保証を頼まれた人達を呼び出して見させると、確かに依頼の時にこの男が同行してきたという。》

3 民を惑わす邪教

本書は全部で23編あるが長くなるので以下は省略する。