岩波文庫 シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (2)

このような記述がある。

《二 シュルレアリスムにのめりこむ精神は、自分の幼年時代の最良の部分を、昂揚とともにふたたび生きる。それはなにか精神にとって、いましも溺死しようとしているときに、自分の生涯のすべてを、またたくまに思いおこしてしまうひとの確信のようなものである。それではあまり乗り気になれないといわれもしよう。けれども私としては、そんなことをいうやからを乗り気にさせようなどと思ってはいない。幼年時代やその他あれこれの思い出からは、どこか買い占められていない感じ、したがって道をはずれているという感じがあふれてくるが 、私はそれこそが世にもゆたかなものだと考えている。「真の人生」にいちばん近いものは、たぶん幼年時代である。幼年時代をすぎてしまうと、人間は自分の通行証のほかに、せいぜい幾枚かの優待券をしか自由に使えなくなる。ところが幼年時代には、偶然にたよらずに、自分自身を効果的に所有するということのために、すべてが一致協力していたのである。シュルレアリスムのおかげで、そのような好機がふたたびおとずれるかに思われる。それはあたかも、ひとが自分自身の救済あるいは破滅にむかって、いまも走り続けているようなものだ。》

ブルトンの言うシュルレアリスムとは社会に数歩踏み入れてしまった大人が、身に付けざるを得なかった鎧のような物を自ら外し、無意識を解放するような形で溶ける魚のような文章を書くことである。

溶ける魚

《学校のチョークの中には一台のミシンがある。小さな子供たちは銀紙の巻毛をゆすっている。空は風によって刻々とぶきみに消されていく黒板だ。「みなさん、眠ろうとしなかった百合の花がどうなったか、わかりますね。」と先生が、口を切り、終列車の通るすこしまえに、鳥たちが声をきかせはじめる。》

これはいいヒントになる。老年期はもうその鎧を脱いでもいいわけで、純粋な幼年期に戻る事がはるかに容易になっているのである。