東洋文庫 将門記 1 (作者、成立年代不明)

  桓武天皇から平の姓を賜り臣籍降下していた平良将の子が平将門である。良将の死後将門は下総国豊田に所領を持ち北関東の治安維持に当たっていた。上手く名を上げれば朝廷の覚えもめでたくなる。ところが女をめぐって叔父たちとの間に確執が生まれた(と書いてある)。叔父たちは良将の所領も横領していたらしい。

  承平五年(935年)いよいよ対立が決定的になると叔父たちと姻戚関係にある源護の三人の息子の扶、隆、繁が常陸国野本に陣を張り将門を待ち伏せし襲撃する。ところが将門が強すぎたのか三人とも討ち死にし彼らの所領も焼き払われ伯父の国香も討ちとられる。怨念を抱いた源護は平良正に頼る。良正と平良兼は、国香の子の貞盛も巻き込んで総力戦を挑むが結局敗退し、良兼は病没、貞盛は放浪の身となり将門の名が関東で上がることになる。

  その後、将門は武蔵権守の興世王と源基経が足立郡郡司の武蔵武芝との間に起こした紛争に介入する。

  巻二では将門が関東地方を平定し新皇と名乗り朝廷に討伐されるまでが記述される。死んだ将門による地獄からの冥界消息の章もある。