東洋文庫 三宝絵 (984)

源為憲(不明〜1011)の著した三巻よりなる仏教説話集である。当時付属していた絵は現存していない。

上巻は見たところインドの古い説話集となっている。話が大袈裟なところがあるし見るべきところは少ない。

中巻には国内の話題が収められている。特に上宮太子、役優婆塞(えのうばそく)、行基の事柄に多くのページが割かれている。これは日本霊異記(800)の内容と似通っている。

下巻には各月の各地で行われる法要について記されている。一例を挙げる。

六月 僧法の二十二 東大寺の千花会

東大寺はあめの御門の立てたまへるなり。「ひとへに王の力にて行えば民のくるしみ多かるべし」との給いて、太政官の知識文をつくりて、国々に下し遣して、「一の木・一のつちくれをも力にしたがひてくわふべし」といへり。あめのした是にしたがふ事、草の風になびくがごとし。はじめて堂の壇がつく日、まず御門鋤をとりて土をすきたまふ。后袖に土をいれてはこび玉ふ。いはむや、大臣よりはじめて諸の人一人ものがれ怠るなし。大仏あらはれ給ふ日、堂塔いできたりぬるに、此の国もと金なくしてぬりかざるにあたはず。かねのみたけの蔵王に祈り申さしめ給ふ、「今、法界の衆生のために寺をたて仏をつくれるに、わが国金なくして、此の願ひなりがたし。つてにきく。此の山に金ありと。願はくば分ち玉へ」と祈るに、蔵王しめし給はく、「此の山の金は弥勒の世に用ゐるべし。我はただ守るなり。分ちがたし。近江の国志賀郡の河のほとりに昔翁の居て釣りせし石あり。其の上に如意輪観音をつくりすゑて、祈り行はしめ玉へ」とあり。すなはち尋ね求むるに、今の石山の所をえたり。観音をつくりて祈るに、みちの国よりはじめて金出で来るよしを申して、たてまつれり。すなはち年号を改めて「天平勝宝」と云ふに、寺を供養したまふころほひ、行基菩薩・良弁僧正・婆羅門僧正・仏哲・ふしみの翁・このもとの翁などいへる、あとをたれたる人々、或るは我が国に生れ、或るは天竺より来りて、御願ひをたすけたり。(略)