ある秋の日(資料によるとプルースト15歳の時)、あの気難しいレオニ叔母もとうとう亡くなった。フランソワーズが付きっきりで看取ったという。相続のため両親とプルーストはコンブレーを訪れたが、両親は公証人と小作人との面談で忙殺され、大規模な追悼の宴も行わなかった。プルーストのレオニ叔母の死に対する感じ方はいささか冷淡なものだったが、フランソワーズと大喧嘩になる事もなくその場は過ぎていった。
プルーストはこの秋コンブレーで、さらに読書と散歩を行なった。この時に「人と同時には共有できない感情」について考察する。また思春期到来を思わせる妄想がプルーストに芽生えている。プルーストは欲望に目覚め地元の田舎娘を求めて歩き回ったが、一人として現れる事は無かった。もし現れたとしても話しかける勇気も無かっただろう。文学的表現になっているがよく読むとこの頃に精通したような記述がある。
さらに数年後のこと、プルーストが散歩に疲れて眠りこみ、眼が覚めると偶然にもヴァントイユ邸の窓からヴァントイユ嬢が見えた。彼女は喪服姿だったが、女友達と性の饗宴を演じ、あまつさえ父親の肖像写真に唾を吐くという悪の姿をプルーストは目撃した。サディストでなければこのような事は出来ないだろうとプルーストは考察している。