失われた時を求めて (57)

バルベックのホテルでプルーストが一目惚れしたブルターニュの貴族ステルマリア嬢 –– 今はステルマリア夫人 –– の事を考えるとプルーストにとっては一時間くらいすぐ過ぎ去ってしまう。その夢想の一つを紹介する。以下引用文。(吉川一義訳)

《たとえ技巧を用いてでも、それを手に入れようと試みる。その際、失われた想い込みのかわりに故意の錯覚の助けもあって、衣装は想い込みの代用をつとめてくれる。もとより私も、家から半時間のところにブルターニュ地方など見出せないことは承知していた。しかしステルマリア夫人と身体を寄せ合って闇にしずむ島の水辺を散歩すれば、修道院に忍びこめない男たちが女をものにする前にせめて修道女の服を着せるのと似た気分味わえるだろう。》

結局その夜キャンセルの手紙が届いて夢想は打ち砕かれたのだが、狼狽するプルーストのところにロベールが突如やってくる。どうもこの辺りに述べられる考察には本書の謎を解く鍵がさらっと述べられているような気がする。以下引用文。(吉川一義訳)

《私はその違いを察知して感激したが、私が一人きりであったなら、その感激は豊かな実りをもたらしたかもしれず、その結果、この書物がものがたる目に見えない天職が明らかになるまでの長い歳月、私は無用のまわり道をせずにすんだかもしれない。》

つまりこの時プルーストが孤独だったなら、新たな天啓が得られたかも知れぬのを、ロベールが来たばっかりにそのチャンスを逃したかもと言っている。結論は早すぎるが、この本はプルーストの魂が芽生えてついに作家になるまでの長い回り道を描いたものと言えるだろう。