アフガニスタンが近代化を目指していた頃(1953年)当時の首相ダウドは米国のニクソン副首相をカブールに招いて 天然ガス開発のための資金援助を得ようとする。この時ニクソンはアフガニスタンがCENTO(中央条約機構)に加盟する事を交換条件とした。これは仇敵パキスタンと組むことを意味する。ダウドはこれを拒否し1ヶ月後にはフルシチョフを招きソ連に急接近する。
ここが以後の混迷の始まりである。イギリスの悪意によりパキスタンとの関係が悪化していたのも要因の一つだ。 ソ連は援助とともに軍事顧問団を送り込み謀略を仕掛けてくる。傀儡政府を建ててイラン革命に乗じ軍隊も送り込んだが結局ムジャヒディンによる強烈な反発を食らう。
これが実際に起こったシナリオだがイランの様になった可能性もある。米国の援助を受けることができてある程度近代化に成功するがやがてイスラム原理主義に取って代わられるシナリオである。とするとどっちの道をたどっても同じ所に行きつくことになる。この問題は考えてもあまり意味はないのかもしれない。
この本はフランスのジャーナリストフランソワ・ミッセンがアフガニスタンに潜入した時のレポートと彼が接触した元アフガニスタン政府高官による証言から成る価値のある資料と思う。