東洋文庫 魯迅 (1965)

本書は中国文学者、丸山昇による魯迅評伝である。さまざまな文献に基づいて論考がなされているようである。イギリスのドキュメンタリーに倣って「清国7歳になりました」風に書く。

魯迅7歳、浙江省紹興城内在住。祖父は進士であったという。実家は千坪の邸宅と広い田畑を所有する支配階級であった。7歳から一族の老人に就き学問を習ったが、13歳からは近所の私塾「三味書屋」で学ぶようになる。この年、科挙の不正事件で祖父が投獄される。その為魯迅は親戚 の家に身を寄せて生活するが、乞食と言われ辛い経験をしたという。

14歳のとき魯迅紹興に帰ったが今度は父が病気になり家は没落する。魯迅も一家の中心として薬屋、質屋などに通うようになり世間の冷たい風を受けたようである。家には科挙の受験の本はあったが、魯迅は「花鏡」、「山海経」などをよく読み、書写も上手に行ったという。

21歳、魯迅は3年前から南京に出ており江南水師学堂や鉱務鉄路学堂で当時の革新思想を学んでいた。この年日本に留学し弘文学院の寮に入る。23歳のとき心境の変化からか仙台医学専門学校に入学する。動機は留学生仲間への嫌悪感とも言われている。この年革命団体である光復会に入る。

28歳、魯迅は東京に居て文学の方に方向を変えていた。二年前には医学専門学校を退学し、朱安を妻にもらい妻帯者となっていた。どうしてこうなったのか?

その後は中国にもどり浙江両級師範学堂の教員などをつとめ、30歳のときに紹興師範学堂の校長に就任する。この年辛亥革命が起こるが、翌年には魯迅は 南京臨時政府の幹部の席に着くなどして活躍するのである。

第一小説集「吶喊」を出したのが42歳のときであった。