(女性アナの声で) 名曲のたのしみ。41年にわたって解説を担当された音楽評論家の吉田秀和さんが去る5月22日お亡くなりになりました。この時間は今年4月に収録したラフマニノフその音楽と生涯の第23回をお送りします。
名曲のたのしみ吉田秀和。先々週はラフマニノフの作曲したエチュード練習曲集、音の絵を聴きましたけれども今日はその続きになります。というのは音の絵の曲集は1916年から翌々年にかけて書かれたものですがその中間の1917年の12月ラフマニノフは家族とともにロシアを離れてスカンジナビア諸国で演奏旅行の旅に出ます。で、その間にロシアはその頃は政情が非常に不安になりましてね、革命がもう目の前に迫ってきた。何回もそういう企てがあって失敗したりなんかしてたんですけどもそしてもう国にとしては非常に不安定な状態に陥ります。で、このときラフマニノフは決定的にロシアでの生活を打ち切る決心をしていたのか、わかりません。けれども彼が外国に出てるうちに第二次世界大戦が火花が切られて1941年にはナチドイツ軍のロシア侵入が開始され彼は祖国の運命に大きな憂慮を持ちながら外国に出たままロシアに帰る事を躊躇してただその日を夢見ながらも外国暮らしをしてそして死んでしまいます。で、一番長くいたのはアメリカなんですが、アメリカ滞在中も結局その間に僅か3曲しか作曲ができなくなってしまいます。やっぱり国が乱れているということが彼には非常に大きな不安というか気持ちの動揺の原因になったんでしょうね。ていうのは外に居てもいつもロシアの事を思ってはいたらしい、だから戦争が始まったら本当に国に帰りたかった、それができないので彼は言ってみればチャリティーの演奏会を一生懸命やった、でその金を全部祖国に送ったりしています。で、今日これから聴くのは第4番のピアノ協奏曲ですけれどもこれは大規模な大きなコンチェルトではあるけれども出来栄えは今ひとつ、やっぱり内心の不安がそのまま反映してると言ったりしたらおかしいけれども、なんか、落ち着かないものになりましたねえ。しかしそういうものとしては記念碑的な大作ではあります。初演は完成した1926年の翌年作曲家自身のピアノソロとストコフスキー指揮のフィラデルフィアオーケストラとの共演で行われましたけれども、聴衆の反応は良かったんですけども批評はあんまり芳しくなかったみたいですねえ。新しい協奏曲は完全に19世紀の遺物でチャイコフスキーが作曲したものみたいだと言う人もいれば シューマンの貧弱な亡霊だなぁ、言ってることはたくさんあるけれど大事なことは言っていないといったような物が書かれているそうです。これは僕ラフマニノフの伝記の中で読んだんですけれど。ラフマニノフそれを気にして1937年には大幅な改訂を行いまして現在僕たちが聴くのはその改訂版によるものだそうです。それじゃアンスネス・レス・オーヴェのピアノソロ、パッパーノ指揮ロンドンシンフォニーオーケストラの演奏で第一楽章から第三楽章の最後まで続けて聴くことにしましょう。〜音楽〜
今聴いたのは云々。今度はミケランジェーリのピアノ独奏による同じ曲のCDを聴きましょう。むかーしミケランジェリが初めて日本に来た時、僕どういう訳だか誰かに呼ばれてミケランジェリと一緒に食事しました。その時ミケランジェーリがあんまり愛想のよくない人でしたけどね、で話がなくて困って僕も、僕もあまり愛想よくなかった、それで話題の一つとして「貴方はラフマニノフの第4番を入れてて有名な2番も3番も全然弾かないってちょっと変わってますね。」と言った、ミケランジェーリ、ニヤーとして「みんなにそう言われるんだけども2番と3番はラフマニノフ自身に演奏したいいレコードが出てるけど第4番は彼残してないからね。それで僕やったんですよ。」と言ってました。そのミケランジェリの演奏でこの4番聴いてみましょう。エットーレ・グラシスの指揮、フィルハーモニアの演奏です。〜音楽〜
今聴いたのは云々でしたけどまだ少し時間があるってんで今度は作曲家のラフマニノフ自身が弾いた盤で聴きましょう。第2楽章これがやれると思います。残念ながら第2楽章全部聴くことは出来ません。聴きながらお別れという事になると思います。ピアノ独奏はラフマニノフ自身、オーマンディ指揮のフィラデルフィアオーケストラの演奏です。 〜音楽〜
えっ、有るじゃない。