失われた時を求めて (99)

音楽のもたらす陶酔についての重要な考察がある。なかなか面白いので抜き書きしてよく吟味する必要がある。以下引用文。(吉川一義訳)

《たとえばこの音楽は、私の知るいかなる書物よりもはるかに真正なものに思われた。ときに私はその原因は、人生においてわれわれが感じるものは想念という形をとることはないので、その感じたものを文学的に、つまり知的に翻訳しても、それを報告し、説明し、分析することはできるが、音楽のようにそれを再構成することはできないのにたいして、音楽ではさまざまな音が人間存在の屈折をとらえ、さまざまな感覚の内的な尖端を再現するように思われる点にあると考えた。この感覚の内的な尖端こそ、われわれがときどき覚える特殊な陶酔感を与えてくれる部分であるが、そばにいる人に「なんていい天気だろう!なんてすばらしい日の光だろう!」などと言ってみたところで、その陶酔感をなんら知らしめることにならないのは、同じ天気や同じ日の光が、相手にはまるで異なる心の震えを呼びおこしているからである。》

音楽と人間、文学と人間というテーマを論ずるとちょっと大変なことになると思うが、音楽と文学の違いは割と直観的に分かるような気がする。