巻末にある吉野作造氏の解題を読むと本書の概要が掴みやすい。1870年(明治三年)に熊本で生まれた著者は長兄を西南の役で失い、志を同じくする次兄も横浜で病没、本人は中国革命の実現のためタイで移民と木材の植林を行い資金を得ようとするが頓挫。犬養毅に面会しアドバイスを受けるが方針についてダメ出しをされる。その風貌では商売はできまいとも言われる。その後は外務省から工作員として雇われた形になり数名で支那に渡り情報を収集し革命を支援するのだがシンガポールでは投獄されたりする。結局革命派の武装蜂起である恵州事件(1900年)が失敗に終わり孫文は逃亡する。恵州事件の概要と宮崎滔天自身の日本での失意の日々、留香という芸者との関係を述べて本書は幕を閉じる。
本書は大ベストセラーとなり中国語に翻訳され中国でも読まれたという。宮崎滔天はその後は浪曲師になり生計を立てる傍ら執筆活動と孫文らの支援を行い1922年に51歳で亡くなった。その間に世界では色々な事件が起こり辛亥革命も成されている。